2016年ノーベル化学賞と安全保障輸出管理

2016年ノーベル化学賞は、「分子マシンの設計と合成」テーマでアメリカ、フランス、
オランダの3大学教授に授与された。その中の一人アメリカのStoddart教授はロタキサンとよばれる輪分子に軸分子が貫通したものを合成された。さらにこの分子に電気的刺激でプラスをマイナスへと変換可能な構造を導入し、輪が軸上を併進する分子システムを作り上げられた。同教授は軸と輪分子が一部開いたものを静電的に固定する“仮止め”と言う手法を思いつかれロタキサンの高収率合成に成功された。興味深いのはこの“仮止め”のアイデアは“分子認識の化学”が出発点であったことである。(化学12号 2016年)
“分子認識の化学”はカルフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)のCram教授を中心におよそ30~40年前に活発に研究された。私は1977~1979年にCram研究室で教授の案出した特異な構造を持つ分子の合成研究に携わっていた。
先述の記事を読んだ時、すぐに当時の記憶がよみがえった。Stoddart教授も“分子認識の化学”の研究者であった。Stoddart教授は私の在籍時に短期客員教授としてイギリスからUCLAに来られ、その時同教授のレクチャーを数度聴いた。糖類を化学修飾したものを材料にして“分子認識の化学”を研究されていた。Cram教授はHost-Guest、一方Stoddart教授はKey-Rock と表現されていたことを思い出した。研究は各々の時代の成果を継承し進化してゆくことを改めて実感した。
“分子認識の化学”テーマは1987年度ノーベル化学賞を受賞したが、その後も何に使われるかが明確でないため受賞の意義を問う人もいた。ロタキサンも現在明確な用途はない。このような基礎研究を継続することが永年にわたり許される欧米の豊かな風土、文化を感じた。恵まれた基礎研究環境を背景とした本研究の進展は大いに興味がある。
同時に、ロタキサンの特異な性質と発現機構が解明され、近未来に用途研究の段階に来た時に開発技術が制限なしに兵器開発に使用されないための準備が必要であると思った。
フランスの大学での基礎研究の割合は80%強で、これに対して日本の大学は50%程度と言われている。基礎研究割合の差の生じる議論はここではしないが、日本の大学の研究は軍事及び民生用途に使われるデュアルユース技術研究の割合が多いことは事実である。先端技術は軍事用途研究と民生用途研究の線引きが難しい。民生用途の研究成果は軍事用途研究に間違いなく役に立つ。日本の大学はしっかりとした安全保障面からの技術管理を世界の中で最も必要とする立場にあると言えよう。
大学における安全保障貿易管理の必要性が謳われてきたが、ジャーナル記事からは現在でも管理は十分ではない。高度な技術は研究者自身でなければ判定ができないためであろうか。研究者の判断が必要となる場合は今後益々増えるであろう。こうした中研究グループのリーダーは、安全保障貿易管理における自身の研究、成果の位置付が正確にできる知識を必須とすることを提案する。そして本提案の実現に寄与したいと思う。

中村英夫