不都合な未来

自分はいつもあすに期待して生きている。あすはきっと良いことがあるだろう。きょうはアレもコレもうまくいかなかったけど、あすは何とかなるだろう。てな具合で、いつも暢気に生きている。

でも、もしあすが不都合な世の中だったらどうしよう。

理不尽なことが平気でまかり通るような世の中で、人を傷つける事件が多過ぎる。公衆の面前で薬物暗殺、どうしてこんなことが起こるのか。

きょうは2月26日。

汨羅の淵に波騒ぎ 巫山の雲は乱れ飛ぶ

混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く……

昭和維新の歌、そう昭和十一年二・二六事件が起きた日である。

あの事件は何故起きたのか、いろいろあるらしいが一つには数年前に起きた世界恐慌のあおりで日本も不況で貧しい人が増え若手将校たちが将来に危機を感じ決起したとも言われている。

ところでライオンは腹一杯の時には、他の生き物を襲わないらしい。足るを知っている。それに対して人間社会には億万長者が沢山いる。億万長者が居てもいいのだが貪欲過ぎて、どこまでも金を追求するのは如何なものか。富む者はどんどん金持ちになり、貧しい者はどんどん貧しい生活をする。優と劣の差別が始まり格差社会が広がる。

人類の歴史は貧困からくる争いの歴史。いい加減なところで幸せを感じるゆとりとか他の者への思いやりの気持ちが少ない。足るを知らない。

このままでは不都合な未来が待っているような気がしてならない。争いの根本原因を絶たねば。「該非判定」は役に立つのか。少し悩む。

田原 譲